中国におけるPR(=公関)業界

2007-04-16

友人の大学教授から、「中国のPR」について聞かれまして、少し調べてみました。

PRは日本語では「広報」と訳されたのですが、どうもこの訳語の意味合いがやや狭いような気がします。中国語の訳語である「公共関係」(略して「公関」)のほうがより元の意味に近いように思います。

企業も良き市民として社会に貢献をしなければならない今日、Public Relationsはとても重要なことであることはいうまでもない。でもこんな立派な言葉も実は中国で歪められて「接待」というニァンスで使われたことがあります。「接待」といえば、私が留学で来日したばかりのころに「ノーパンしゃぶしゃぶ」という言葉がメディアでやたらに取り上げられ、今も「セッタイ」と聞くと、頭の中ではすぐに「ノーパンしゃぶしゃぶ」という響きが現れます。ところでその「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは一体何なのか、周りの人に聞こうとしたら「セクハラになります」と警告されて聞いてもいけないのでますます意味不明なのです。

まあ、そんなことはさておいてせっかく調べた資料はここに残しておきましょう。

共産党政権は、「宣伝=Advertising 」を大事にする伝統がある。いまだにも中国共産党には中央宣伝部があります。「広報」(=Public Relations)という言葉自体は、中国の政府部門にはまだ少ないが、ただし、今は、国務院(内閣)、外交部(外務省)、全人代(議会)、主要省庁にスポークスマン(中国語では「発言人」)制度を導入しており、少しずつこういう発想も浸透してくると思います。

中国語では、「Public Relations」は公共関係と訳します、略して「公関」ともよく言います。政府部門や学校などにはあまりみられないが(中国では学校も病院もいまだに国有が多いからです)。基本的に、Public Relations」(公共関係)を中国に導入、実践しているのは欧米系企業だと理解すべきでしょう。特に外資の場合、最近、よく中国で叩かれていますから、当然ながら中国で、Public Relations」(公共関係)に真剣に取り組まなければならない時代になっています。現在、中国では、欧米系外資企業をはじめ、中国の国内大手企業も「公関部」、つまりPR部門を設けているのが一般的です。

もっとも、「公関」という言葉自体が中国で一時期、かなり歪められて認識されたこともあります。かつて「公関」は企業の接待係、さらに「公関先生」、「公関小姐」という、それぞれホストやホステスと思わせるようなニァンスで使われるケースもあります。そのため、いまだに「公関」という言葉が言われると、多くの人は変なことを連想してしまいます。

実は少し文献をレビューしてみると、「公共関係」という分野は中国ではまだ極めて歴史が短い。1986年1月に、中国には初めてのPR協会である広東地域公共関係倶楽部が設立され、同年6月に上海市公共関係協会、翌年(1987年)6月22日に中国公共関係協会が北京で成立しました。1991年4月26日に中国国際公共関係協会が北京で成立。前註米大使の柴沢民(江沢民ではないので、間違わないように)が会长に就任しました。現在、中国全土には100以上の公共関係協会と学会があり、経済先端地域の浙江省と江蘇省には最も多い。

中国最初の公共関係専門著作は、中国社会科学院新聞研究所公共関係課題組が編著した『公共関係学概論』公共关系学概论》、 1986年11月に科学普及出版社に出版された。1993年8月に中国最大の公共関係専門著作といわれる550万字の『中国公共関係大辞典』も出版されました。1990年代の初め頃に、公共関係の書籍と翻訳の大量出版の時期があり、1994年まで300種類を超えたほどでした。1988年1月31日に杭州で創刊された、浙江省公共関係協会主催の『公共関係報』が中国最初のPR専門メディアといわれています。

PR人材の育成についていえば、1985年4月北京師範大学に公共関係講座が設立。同年6月北京大学の研究生院(大学院)も公共関係講座を開設しました。1987年に中国国家教育委員会が「公共関係」を行政管理、工業経済、企業管理、観光経済、マーケティング、広告学、新聞学の必修科目として指定した。

1994年に国家教育委員会が中山大学で中国初めての公共関係学科の設立を批准。同大学は、行政管理学科にも公共関係研究の修士コースを設立。これは中国がはじめて四年制大学と大学院でPR(公共関係)という専門を導入することになります。現在、中国で公共関係専門の学部生を育成する資格のある大学は中山大学(広州)と中国メディア大学(北京)だけになっています。ほかに復旦大学(上海)、中山大学のメディア学、行政管理学の中に、公共関係専門の大学院生を募集しています。

1980年代半ばから、PR(=公共関係)の専門会社も現れるようになりました。中国国際公共関係協会2000年に行った業界調査によると、中国国内資本の公共関係会社は社員10人以下の零細企業が多い。3社以上の長期クライアント、20人以上の社員をもつ専門公共関係会社は全国で約100社になっています。ただし、中国国内のPR(公共関係)専門会社は年平均30%の高成長を遂げており、中では「蓝色光標」、「迪思」、「海天網聯」といった年間売り上げが4000万元、社員数80人を超える大手のローカルPR企業も現れました。

2000年中国公共関係(香港マカオ台湾を含まず)業界全体の年間売り上げが15億元。全国80%以上の専門公共関係会社が北京、上海、広州(深圳)に集中、その市場シェアが全国70%以上を占める。北京が特に突出しています。そして欧米系の著名PR会社も近年相次ぎ中国進出を果たした。

現在、公共関係業界の従業者はすでに10万人を超えるようになりました。中国政府労働社会保障部は1997年11月15日に公共関係職業審定委員会を設立し、公共関係従事資格者に「公関員」という職業名称を与えるようになりました。

(以上、一部は浙江大学 新聞伝播学院何春暉氏の『中国公共関係の回顧と展望』からの翻訳、引用した)

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